階段のぼりかけ

ただのチャットモンチーファンブログです

『誕生』をより楽しめるようになる (かもしれない) いくつかの事

ラストアルバム『誕生』、もう聴かれましたか???あらかじめ聴いておくと、武道館が5倍楽しめるということなのでぜひ聴きましょう。

 

このブログでもレビューを書いたので、よかったら読んでみてね!

 

↓当ブログレビュー記事です

ddfl.hatenablog.com

 

上のエントリでは全曲の感想など、アルバムについて総括的に書いています。なのでそこからこぼれた内容を拾おうというのが今回のエントリの趣向なのです。読み終わったとき、1.1倍くらいは楽しめるようになることを目指すよ (志が低い)!

 

はっきり言って超細かい話ばかりなので、他人がどう思ったかを知りたい人や、そもそもまだ聴いてない人は上のエントリを読むか、アルバムを聴いてから読む事をお勧めします。

 

以下、本題です。

 

 

リフレイン

 

音楽、ことロックミュージックにおいて反復 (リフレイン) は、欠かすことのできない要素です。リフ (riff) という言葉が普遍であるように、反復は楽曲の重要な部分なのです。

 

『誕生』でも、様々な形で反復が試みられます。まずはリフ (riff) から。M-3"the key"のバリトンギターによるリフがこのアルバム中、最もハードなリフでしょう。ここまでハードなリフはチャット史上初です。

 

歌詞における反復。チャットは違う筆致を持った3人の作詞家がいるバンドですが、3人に共通していたのは対句を好んで使っていたところだと思います*1。当然ながら対句の強みとは、お互いが引き立つこと。以下、例を出します。

 

  • M-2"たったさっきから3000年までの話"で「あなた - 」、「世界 - 日常」と続けることで、視線をグッと身近に引きつけている。 
  • M-5"裸足の街のスター"は特に印象的。「低い敷居 - 高いステージ」「無知のみち - 未知の旅」と、意味を真逆にしながらもストーリーは繋がっている。

 

 他にもM-6"砂鉄"やM-7"びろうど"も印象的ですが、全てを羅列するのは野暮ったいことこの上ないのでここまで。まあ既に十分野暮なのは許してね。

 

過去作品のモチーフの反復。"たったさっきから〜"のMVでは、過去MVのオマージュが次々出てきます。これは個別記事を作ったので興味がある方はそちらをどうぞ。

 

↓オマージュについての記事

ddfl.hatenablog.com

 

そして"砂鉄"。クミコン (高橋久美子) 作詞のこのナンバーは、"やさしさ"(『告白』/ 2009) "変身" (『変身』/ 2012) "毒の花" (『共鳴』/ 2015) といった、過去の曲の歌詞がモチーフとなって出てきます。チャットへの餞という気持ちで書かれたこの歌詞からは、チャットに対するリスペクトを感じるとともに、完結を前にしたチャットがこの歌詞を歌うというところにまで目を向けて書かれたのだと思わせられます。

 

ズレ

 

打ち込みを中心としたアルバムにおいて、ズレとは何ぞやという感じかもしれません。これはミスのことではなく、シンプルに旋律をずらしていることについてです。

 

M-4"クッキング・ララ feat. DJみそしるとMCごはん"のコーラスパートでは、DJみそしるとMCごはんさんとえっちゃん (橋本絵莉子) が"クッキンララ"を掛け合いで歌います。1コーラス目と2コーラス目では掛け合いのやり方を変え、そしてオーラスでは一緒に"ウォッシン皿"。

 

ズレはやはり聴き手をぐっと引きつけます。けれど、言葉遊びではないにせよ「ズレている」というなら、やはり「ズレていない」状態もあるというわけです。"クッキング・ララ"では「ズレている」掛け合いから、「ズレていない」一緒に歌う〆が用意されているのできっちり終わることができる (=解決したともいう) のです。オーラス前の"さてと"がすごく効果的に置いてあると思います。

 

それとは逆に、M-5"裸足の街のスター"ではあっこちゃん (福岡晃子) が主旋律のオクターブ下をひたすら歌っています。これは逆に「ズレていない」パターンですが、ブリッジで一旦えっちゃんだけになり、コーラスでまた帰ってきます。変形パターンのズレです。オーラス前で演奏もフェードしながら帰ってくるアレンジが、フィナーレへのパンチ力を高めています。

 

ここまで書いておいてひとつ注釈しておきたいのは、「ズレていない」状態が、「正しい」状態であると言いたいわけではない、ということです。「ズレ」とはその言葉どおり、何らかの基準からは外れた状態 (≒違和感) のことですが、それは同時にフックでもあります。変に小綺麗なものより、いびつでもまっすぐなものに心惹かれるのは音楽に限った話ではないでしょう。

 

M-7"びろうど"では、えっちゃんの息子さんがコーラスとして参加しています。4歳の声なので、ところどころヨレていたりして可愛らしいのですが、母親と一緒に歌うところはもうどちらが主役かは分からないほど、強く耳に訴えられるものがあります。

 

少し我に帰ってアレンジに話を振りますが、声を合わせるのは最初と最後だけなんですよね。1コーラス後は輪唱のようにするということで、変化がついています。細かい気遣いですが、リフレインの変奏は楽曲の丁寧さに繋がるとワタシは思うのです。チャットのアレンジを丁寧だと思う一要因です。

 

そして2コーラス後の「ラララ」で、えっちゃんの歌う「ラララ」の力強さ。『誕生』ではM-2"たったさっきから3000年までの話"のコーラスのように、言葉がなくても強い説得力を持って響く部分が多いと思うのです。一緒に歌うということに、何か魔法がかっているなどと言うのはやや安直でしょうか。

 

ギターのパンニング

 

『誕生』では『生命力』や『告白』、もっと言えば他のどのアルバムともギターのアプローチが違っています。何が違うかというと、ライブで再現するためにはギターが複数本要るアレンジが多いというところ。最も顕著なのがM-3"the key"です。M-6"砂鉄"は1本でもいけそうですが、ライブではパンニングの表現が難しいでしょう。

 

もちろん、"the key"もループステーションを使えば再現できないこともないでしょう。けれどここで話題にしたいのは、再現性云々ではなく左右chで全く違うギターが鳴っている、というところです。スタジオ音源において、左右で別のギターが鳴っていることなど珍しいことではないですが、ことチャットモンチーにおいて (露骨に) 出てくるとワタシはそこに耳がいってしまうのです*2*3

 

その理由1。チャットはいつの時代もライブで再現することにこだわってきたバンドでした。3人時代の3つだけの音で成り立つアレンジも、2人時代の曲芸じみたパフォーマンスも、ライブを意識してのことだったと思います。だからこそ、その拘りを外した = さらに自由になったのだなと思う一方で、武道館でも何とか再現するのだろうなと期待は高まります。

 

理由2。ワタシがチャットモンチーに、とりわけえっちゃんの歌詞に対して感じる魅力のひとつに、何かの狭間で揺れている表現が多いというのがあるのですね。

 

初期の作品で言うなら"恋愛スピリッツ"などの、理想と現実のあいだで引き裂かれそうになっている直接的な描写に惹かれ、後期の作品では"こころとあたま"のような、そこと向き合う表現に変わっていったところに惹かれるのです。

 

それを踏まえた上で、『誕生』というラストアルバムではどのような表現に辿り着いたのかと思って聴くと、揺れは揺れとして、ただそこに存在するものとなっていたのです。どちらかに統合されるのでもなく、どちらかに引き裂かれるのでもなく。左右から聞こえる2つのギターが、その状態を象徴しているというのは考えすぎでしょうか。

 

"the key"や"砂鉄"といった、過去のテーマを引き受けた曲たちでそのように鳴っていると、穿った見方とはいえあながち間違いでもないように思えてしまうのです。

 

 

 

...以上、ぐだぐだと書きました。何とか武道館公演より前に書ききれたのでよかった。でも何か書き忘れているような気もする。

  

そういえば最初に1.1倍くらいは楽しめるようになる、って書いたけどどうだったでしょうか。その通りになった?じゃあ公式の文言と合わせたら5.5倍じゃないか!四捨五入すれば6倍だね!やったね!(何が?)

 

何にせよ、武道館公演楽しみですね。もう1週間切っていることにも驚愕ですが。読んでくれてどうもありがとう。

 

 

 

 

*1:対句自体、ポピュラーな表現方法ですが

*2:ちなみに、『耳鳴り』は例外で『誕生』のギターアプローチに近い。"恋の煙"が分かりやすいでしょう

*3:補足の補足。完全に余談だが、"恋の煙"はALBUM MIXとSingle verでパンの定位が違っている。『耳鳴り』と『チャットモンチー BEST〜2005-2011〜』で聴き比べてみよう