階段のぼりかけ

ただのチャットモンチーファンブログです

『生命力』 / チャットモンチーの景色 <1>

  今回は2nd Album『生命力』を取り上げていきます。言わずと知れた出世作であり、このアルバムでチャットモンチーを知ったという人も少なくないでしょう。かくいうワタシも出会いはこのアルバムであり、もうホントによく聴きました。

 

生命力

 

 前作『耳鳴り』と比較して、ポップになったと評されることの多いこの『生命力』ですが、アレンジの面では逆にかなりハードなほうへと向かっています。何を目指したかというと、ライブにおいて3ピースで再現できるかということ。この、歌+コーラス、そしてギター、ベース、ドラムがそれぞれ1台ずつで成り立つアレンジは4th Albumの『YOU MORE』でひとつの結実を迎えるのですが、すでにこの『生命力』の時点でもかなり完成されている感があります (半ば突然変異のようだ)。我々のよく知る、あのチャットモンチーサウンドですね。

 

 

 そして、代表曲である“シャングリラが収録されているアルバムでもあります。作詞はクミコン (高橋久美子)、ご存知の方も多いと思いますが、タイトルの“シャングリラ”とは理想郷の意味ですね。

 けれど歌詞中の「シャングリラ」は明らかに人名として使われており、女の子の名前だとされています。が、クミコン本人がそうだと発言しているソースがワタシには見つけられないのです…もしご存知の方いらっしゃったら、コメント欄とかで教えてください!

 

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 なんでこんなまわりくどい書き方をしてるのかというと、ワタシにはあまりこの“シャングリラ”が、恋愛の歌だとは聞こえないからなのです…なーんて書くとちょっと語弊がありますね。もう少し正確を期して書くならば、恋愛以外にもあてはまる歌だと感じるのです。

 当然、「シャングリラ」が人名であることに疑いはありませんが、なにも別に女の子に限定する必要もないと思うのですね。男の子だって誰かの胸で泣けたらなんて思うことはあるでしょう。同じように「僕」も必ずしも男の子である必要はないと思うのですが、どうですかね (こういうハナシは前回の『耳鳴り』のエントリに書いたので、よかったら読んでみて!)。やや穿ち過ぎなのは自覚してますけども。

 

 という訳でこの“シャングリラ”、極端な話「シャングリラ」が男の子で「僕」が女の子でも成り立つと思いませんか?意地っ張りな男の子にロマンチックな女の子、いいやん!

 もちろん、「シャングリラ」=「女の子」、「僕」=「男の子」でも、何なら同性どうしでも全然OKです。要するにワタシは、 “シャングリラ”において性別がどうのこうのというのはあまり重要なところではなく、もっと大事なのはサビ部“幸せだって叫んでくれよ”というフレーズにつながる詩情だと言いたいのですね。という訳で、今回のエントリにおける本題へいきましょう。

 

世界一分かりやすい“シャングリラ”講座

 

 ナメたタイトルしてんなあ。でもネット探してもちゃんと“シャングリラ”を批評できている文章が見つからないんだもん (泣)。なのでワタシにやらせてください!ちなみにこれは解説であって感想ではないので、基本的に歌詞を読んでそうと分かることしか書きません。ただし、内容には自信を持って書いているとはいえ、ワタシが間違えている場合もあるでしょう。なので、みなさんもその都度都度で自分で考えてみてくださいね。さて、前振りはこれぐらいにしておきます。

 

 それではいきましょう。“シャングリラ”を考えるときにまず注目すべきなのは、Aメロのフレーズです。ここを蔑ろにすると、ほかのところの意味が通らなくなってしまうのですね。その上でサビが大事になってくるのですが、そこは一旦後回しにしちゃいましょう。以下、Aメロを引用します。

 

携帯電話を川に落としたよ

笹舟のように流れてったよ あぁあ

君を想うと今日も眠れない

僕らどこへ向かおうか あぁあ

シャングリラ / チャットモンチー

 

 いきなりですが解説です。携帯電話を川に落とすこととは、つながりが切れるといった意味合いのメタファーでいいでしょう。それが笹舟のように流れていくのですから、そのつながりは自分が思っていたよりも軽かった、ということです…なんて講釈じみたこと書かなくてもとは思いますが、無粋なのは許してネ!以降ずっとこんな感じでいきます。

 このAメロが何を意味しているかは明らかでしょう。2サビ抜けにもあるように、大きい (重い) と思っていたつながりが、実は小さいものだったと気づいたのですね。そしてそれは意図的なものではなく、たまたま落としたことによって気づかされました。

 

あぁあ 気がつけばあんなちっぽけな物でつながってたんだ

あぁあ 手ぶらになって歩いてみりゃ 楽かもしんないな

シャングリラ / チャットモンチー

 

 ここにあるように、当たり前になっていることには案外疑いを抱かないものです。まさに灯台下暗し。“シャングリラ”の主人公は携帯を落としたことで、自分が何に苦しんでいたのか気づくことができました (やや意訳ぎみだが)。いわば、価値観が揺さぶられたのです。

 

 価値観をゆさぶること、これが“シャングリラ”最大のテーマです。ここに気づけば、次のフレーズがどうして出てくるかも納得がいくでしょう。要するに、どのフレーズもちゃんと意図を持って書かれているのですね (意識的か無意識的かは分からないけれど)。

 

胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ

希望の光なんてなくたっていいじゃないか

シャングリラ / チャットモンチー

 

 希望の光がなくても歩いていけるよと、「君」に半ば強い口調で訴えています。どうしてそんな口調になるかというと、自分にも言い聞かせているからでしょう。自らを苦しめていたものに気づいたとはいえ、「僕」もまた迷いの中にあるのですね (Aメロの最後が「僕ら」と、複数形になっているのはそのためでしょう)。気づくこととは答えを得ることではなく、永遠の迷いの中に身を投じることなのかもしれません。だからこそ、大サビの最後があのフレーズになるのです。

 

シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ

時には僕の胸で泣いてくれよ

シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ

意地っ張りな君の泣き顔 見せてくれよ

シャングリラ 君を想うと今日も眠れない僕のこと

ダメな人って叱りながら愛してくれ

シャングリラ / チャットモンチー

 

 という訳でまとめです。“シャングリラ”ではまず主人公の「僕」が、自分にとって大きく重く感じていたことから解きほぐされるきっかけを得ます (携帯電話を落とす→他に大事なことがあることに気づく)。だからこそ強がっている「君」にも、価値観のゆさぶりを起こしたいのだという気持ちを語るサビへと繋がっていくのですね。これが“シャングリラ”のキモです (なのに、ここに触れているレビュー全然ないのよ…)。なんなら今回はここだけ読んでくれたんでOKです。以上、駆け足でしたが世界一分かりやすい“シャングリラ”講座でした。

 

世界一分かりにくい“シャングリラ”講座

 

 まだ続くんかい!ちなみにここから先はいつものアレな調子に戻りますヨ!要するに、コジツけ天国です。あんまり鵜呑みにしないでネ。

 

 じゃあいいですか?。まずは突然ですが昔話をしますね。その昔、NHKトップランナーというトーク番組があり、そこにチャットモンチーが出演したのです。当然スタジオライブがあり、“シャングリラ”“世界が終わる夜に”“橙”の3曲が演奏されました (ただし、うろ覚え)。

 ワタシ、チャットモンチーのライブを見るのは確かこれが初めてだったので、すごいワクワクドキドキしながら見てたのですよ。そしたら、たまたま一緒に見ていた友人 (先日、TVに出ていたSHISHAMOチャットモンチーに似てるよね?と発言した) が“シャングリラ”を聴いて「いや、携帯電話は沈むでしょ」と一言。

 

 ワタシ、その一言にすっかり驚いてしまいました。というのも、そんな当たり前の発想がまるで頭の中にはなかったからです。ワタシの脳内には歌詞の通り、笹舟のように流れていく携帯の絵がありありと浮かんでいました、というかそもそも、疑問を抱くことすらなかったのです。ちょっと聞いてみたいのですがみなさん、「携帯は沈むやろ」って発想ありましたか?

 

 …あっ、別にありましたか。それならそれでいいんですが、ここからはなぜ (普通に考えれば) 携帯は水に沈むという発想がワタシの中から抜け落ちていて、このメタファーの景色を違和感なく受け入れていたのかということを考えたいのですね。

 

 そして、今まで書いてきたことをいきなりひっくり返しますが、Aメロを「つながりに関するメタファー」と読むのはあくまでワタシの一意見にすぎません (同意があったら嬉しいけど)。「携帯を落とすこと」を「つながりが切れる」と読み、「笹舟のように流れた」ことを「予想外の軽さ」と読むことでこのメタファーの景色は成立します。つまり、ある種の意味付けがなされたのです。

 

 うーん、ちょっと分かりづらいですね。何かいい例えはないものか…と考えていると、CINRAのインタビューであっこちゃん (福岡晃子) がPet Shop Boysの名前を出しているではありませんか。これはちょうどいい。なので彼らの有名曲、“Go West”を引き合いに出してみましょう。 

 


Pet Shop Boys - Go West

 

 とはいえワタシもPet Shop Boysに関しては完全にニワカなので、ちゃんとは語れないのですがこの“Go West”、ジツはカヴァーなのですね (もしかしたら、ポンキッキーズで知っている人もいるかも)。ちなみにオリジナルはVillage Peopleのヒット曲です。一応説明しておくと彼らはゲイをコンセプトにしたアメリカの6人組で、日本でも馴染み深い“YMCA”なども彼らの曲ですね…うまく書けないのでもうこれ以上の説明はWikipediaにお任せします。ちなみに読まなくても以降の展開に差し支えはないです。

 

Village PeopleのWikipedia

Go WestのWikipedia

 

 “Go West”のWikipediaページにもありますが、Village Peopleが歌う“Go west”とは、そのコンセプトからゲイ解放のユートピア・理想郷であったサンフランシスコ (アメリカ西部、つまりWest) を目指そうという意味に理解できると思います。

 しかし、先に貼ったPet Shop Boys版“Go West”のビデオでは、ソ連的な全体主義を皮肉り、自由の女神 (?) が西へ行くことを高らかに勧めてきます。これはカヴァー版のリリース直前まで続いていた東西冷戦という時代背景があるからこその表現であり、オリジナル版と同じ“Go west”と歌いながらも、内容は東側陣営 (全体主義) から西側陣営 (自由主義) へ行こうという、まったく違う意味にとることができますね。とはいえ、自由主義礼賛の内容というわけでもなさそうですが。

 

 ふう。ところでこれは何のブログでしたっけ (すっとぼけ)。冗談はさておき、ここまではPet Shop Boysの“Go West”を例にして、同じ言葉を使ったとしても、それを支える概念 (文脈と言ってもいいかも) が変われば意味も変わってくる的なことを書いてきました。読み返すと当たり前のことしか書いてないな?こんな長いの読んでくれてるのに、クドいばっかりでごめんね。ここからチャットモンチーに話を戻します。

 

 この「世界一分かりにくい“シャングリラ”講座」のはじめに、友人が「SHISHAMOチャットモンチーに似てる」と発言したことを書きました。ワタシは「えー全然違うよ」と思いましたがこの発言、女子3ピースで使用ギターがテレキャスという点から見たらあんまりおかしくないハナシですね (改めて書くと当たり前すぎる)。

 

 しかしワタシはチャットモンチーの表現から、どれだけポジティブなテーマを扱おうとも、メジャーキーで曲を書こうとも、怒りのエッセンスみたいなものをどこかに感じるのですね。でもTVで聴いたSHISHAMOからは怒りのエッセンスを感じなかったので (ちなみに聴いたのは“明日も”でした)、この2者は同じ女子3ピースというフォーマットながら、まるっきり別の表現をするバンドだという認識だったのです。だから余計に「似てる」発言にビックリしたのです。

 これがまさに概念の認識違いによって起きたすれ違いですね。いつしかこち亀のコラで、fateのセイバーを見分けられないものが流行ってましたが、アレがまさにいい例です。区別がつく人とつかない人は、見てる基準が違うのでしょう。ワタシもセイバーは区別がつきません

 

 で、この概念のハナシが“シャングリラ”のAメロ部分にも繋がってくるのです。ワタシはAメロをメタファーと読んだのは、「携帯を落とすこと」を「つながりが切れる」と読み、「笹舟のように流れた」ことを「予想外の軽さ」と読むからこの景色が成り立つのです。しかし、友人はそうは読まなかったので、この景色がありえないものに映ったのですね。つまり、この景色は絶対的に存在するものではなく、見ようとしない限りは見えてこない景色なのです。

 

 『生命力』ではこの“シャングリラ”のような、発見された景色とでも呼ぶべき描写が多く存在しています。このテーマが顕著な曲はいくつかありますが、その中から“親知らず”を見てみましょう。

 クミコン作詞のこの“親知らず”、家族と離れて暮らすようになった心情が描かれています。その中でもすごく明確に発見が記されているフレーズがあるので、引用してみますね。

 

写真の中の2人の目がとても強いから

私がここにいる意味 わかった気がしたのだよ

この幸せがあなたの幸せであること

この悲しみがあなたの悲しみであること

親知らず / チャットモンチー

 

 写真というのがたまりません。もうだいぶ前に書きましたが、往々にして当たり前のことほどそれが当たり前でなくなったときに気づくものです。そういえば『チャットモンチー BEST〜2005 – 2011〜』のブックレットにおいて、ライターの本間夕子氏が“東京ハチミツオーケストラ”および“親知らず”をこう評しています。

 

♪「臭いものには蓋をせよ!」 / ここじゃ通用しないわ母さん (「東京ハチミツオーケストラ」) なんて歌詞は自分の中に田舎がなければ絶対に書けない。「親知らず」だってしかり、歯と離れて暮らす家族への思慕を重ねて歌うロックなど発想からして図抜けている。

チャットモンチー BEST2005 – 2011〜』ブックレットより

 

 ここでの重要な指摘は、「自分の中に田舎がなければ〜」の部分でしょう。新しい景色を発見するということが、今までの自分がどこに立っていたかを再発見することだと同義だと言えそうです。もしくはそこまでハッキリと分からずとも、自分がどこに立っているか / 立っていたかを定義することで、目指すべき場所が見つかることだってあるでしょう。

 

 そして、“シャングリラ”ではこの立ち位置を、「ダメな人」と表現しているのですね。“夢の中でさえ上手く笑えない”ことを、「お前は冷たいやつだ」のようにネガティブに捉えるのではなく (この例えは極端ですが)、「ダメな人」と少しファニーな印象に捉えることで、愛嬌が発見されるのです。

 加えて言うならば、この「ダメな人」という表現の裏には変化・成長を期待する気持ちがあるように思えます。これは前の『耳鳴り』の時も書きましたが、クミコンの歌詞における大切なテーマであり、彼女の詞に現れるポジティブさです。そもそもダメなんてものが絶対評価ではないわけで、ダメがあるならイイもあるはずです。言うなれば、現実があるからこそ理想が生まれるのでしょう。おっ、理想という言葉が出てきました。理想郷を意味する「シャングリラ」をタイトルに戴くこの曲において、これは面白い結論に来れたんじゃないでしょうか。

 

 今までのことを踏まえた上でアルバムタイトルの『生命力』についてですが、これも特定の何かを指しての言葉ではないと思います。ここに収録された曲たちを通して見つけたもの・感じたものこそが生命力なのでしょう。“シャングリラ”で描かれた景色と同じく、それらは発見されることではじめて生命力となったのです。

 思えば“真夜中遊園地”や“世界が終わる夜に”のような景色や風景に言及する表現は、前作『耳鳴り』まではあまり見られないものでした。念願のデビューを果たし、ライブ / ツアーやリリースを通じてより多くのリスナーに出会ったことは、チャットモンチーにとって文字通り「発見」だったのでしょう。そうやった発見が詰まったアルバムに、『生命力』という名前をつけたのはとてもチャットモンチーらしいなあと改めて思うのです。

 

 いつものことですがアルバムレビューじゃないですねこれ。完全に“シャングリラ”1曲のレビューです。でも、アルバムを象徴する曲を見ればそのアルバムがどんなアルバムなのか分かるハズなんです (逃げのコメント)!なので次回以降もこんな感じでいきます。

 でも次どうしようか悩み中。3rdの『告白』に行こうかと思いつつ、こういう長い文章を続けて書くの結構大変なんですね…文章を書くのはとても楽しいのだけど、寝ても覚めてもチャットモンチーのことばっかり考えることになるので。アレ?それってとても幸せな状態だな?

 とはいえとてもエネルギーの要ることなので、次回はレビューをひと休みしてDVD『チャットモンチー レストラン 前菜』の感想を書くかもしれません。読んでくれてどうもありがとう。よかったらまた来てね。

 

 

 

全曲ひとこと感想コーナー

 

M-1親知らず”

 クミコン作詞。ギターの単音リフとベースで始まり、そしてドラムが入ってきたのちにバッキングリフへと展開するイントロの時点で、「あ、このアルバムは3ピース徹底路線だな」ってことが分かるリードトラック。それにしてもこのイントロは最高ですね!ナイス構築美。

 面白いのはブレイクのコード進行で、D△7-C#aug-AonC#-Bという進行なのですが、IVの後にオーギュメントは使っていいんですね (この曲のキーはA)!勉強になりました。構成音がF#-F-E-D#と下がっていくので納得ですが、シレっとドッペルドミナントのBまで出てきます。ただその直後にEに行かないのがなんともツンデレですし、IV (サブドミナント) を多用するチャットモンチーらしい進行だなと思ったりします。コードのことは分からないよ!って方、ゴメンなさい。でもこのコーナーはずっとこんなカンジなんです。

 

M-2 “Make Up! Make Up!”

 あっこちゃん作詞。『共鳴』収録の“隣の女”でも思いますが、えっちゃんの声で「女」って歌われるとドキッとしてしまいますね。ギターが1本しか鳴ってないソロは、“親知らず”に引き続き「3ピースでやってやる」という意思を強く感じます。そしてチャットモンチーでワウが使われているのは確か、“ひとりだけ”とこの曲のみなので結構珍しいですね。

 

※訂正。“ツマサキ”のアウトロにもあったね。

 

M-3 “シャングリラ”

 3rd Single。クミコン作詞。しかしこのエントリのほとんどの文章は“シャングリラ”についてのものなのでここでは何を書きましょうか。

  とか考えてたら思い出しました。この“シャングリラ”、チャットモンチーの曲では数少ない♭系のキーなんですよね。彼女たちの曲は#系の曲が多いのですが (G、D、A、Eがほとんどだ)、この曲はFmです。1フレットにカポつけてるのでEmで考えて作っているような気もしますが。

 とはいえやはり曲のフィーリングは♭系 (かつ7thの多用) でないと出せないでしょう。これがEmとかだったら全然ディスコっぽくならないと思います。サビのコード進行はB♭m7-E♭-C△7-Fm / Fm7-B♭m7-E♭なのですが、ちょっと分かりづらいのでディグリーネームに変換しますね。ええと、IVm-VII-V-I-IVm-VIIですか、しかしワタシ短調の進行考えるの苦手なんです (オイ)。なので調性に厳格なヒトは我慢ならないかもしれませんが、ここからさらに長調に変換します。というわけで最終的なディグリーネームはIIm-V-III-VI-IIm-Vとなりました。これで分かりやすくなりましたね。チャットモンチーお得意のサブドミナントはじまりの進行です。

 なんでこんなにややこしいことしてるのかというと、ワタシは最初“シャングリラ”のキーはB♭m (D♭) だと思ってたんですね。なのでサビはVIm-II-VII-IIIm-VIm-IIという進行するものだと勘違いし、「すごっ!ずっと4thの音が#してる!しかもVII?」とか思ってましたが何のことはない、キーを間違えてただけですね。飛び道具に見えたVIIの構成音であるEも、普通にハーモニックマイナーの音と考えたほうが収まりイイ気がしますもんね。思い込みって恐ろしい。一番決定的なのは (ここには書いていませんが) サビ終わりのA♭で、あれはどう聴いてもドミナントの音じゃないですね。きっちりトニックとして終止させようとする音でしたとさ。以上、“シャングリラ”のハナシというよりは個人的な勘違いのハナシでした。

 

M-4 “世界が終わる夜に”

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 5th Single。あっこちゃん作詞。チャットモンチーでは珍しい半音下げの曲です。NHKトップランナーでこの曲が演奏された時、そこまで全く意識していなかったアウトロのコーラスに意識が行き、ワタシが「コーラスって面白いんだな」とはじめて思った気づきの曲なのですね。この曲に限らず、『生命力』はコーラスが練ってある曲が多いです。

 

M-5 “手のなるほうへ”

 あっこちゃん作詞。イントロのコーラス掛け合いも楽しいこの曲ですが、歌詞の譜割においてこのアルバムを決定づけるリズムが仕込まれている曲でもあるのですね。その決定的なリズムとは、大サビ部

 

流れ流されて渦の中へ

手のなるほうへ / チャットモンチー

 

で、“”にも一音与えたところです。言葉的には“流れ流され (て) 渦の中へ”でも意味は通りますが、リズム的にはその他のサビ部における“目をふさいで”の“で”に相当するために省略していないのでしょう。しかもこの音は強拍にきているので、なかなかにインパクトのある押韻になるのです (ついでに書いておくと、直後の「渦」が「う」というアウフタクトで入ってくるので、さらにインパクトは増している)。さすがあっこちゃん作詞曲。『生命力』には他にも、一聴すると「なんでそんな譜割で言葉乗っけれるん…?でもアリ!」的な変態天才的メロディーが随所に出現しますが、こういうぶっとび具合も含めて楽しいアルバムなのですね。以下、例を引用してみます。ただし強調は筆者の手によるもの、ぜひ意識して聴いてみてネ!

 

例1 : “親知らず”の“明日明日と気長なふりで「ありがとう」とか何を今更

例2 : “女子たちに明日はない”の“思い出より美しい思い出のふりで着飾るの

 

M-6 “とび魚のバタフライ”

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 5th Single。あっこちゃん作詞。『チャットモンチー レストラン メインディッシュ』に収録された武道館ライブにおいて、この曲はスペシャルな演出が施されていました。それは銀テープ発射、3人のソロ回し、バックスクリーンに映された「す」「ご」「い」の3文字...などなど。

 それらの演出も大きい会場ならではといった感じですが、ワタシはそれ以上に中間部で一旦ブレイクした後に、ドラムの一発から演奏に戻るシーンにびっくりしました。というのも、ほぼ合図なしで演奏がピッタリ合うのですね。よっぽど練習したのか、はたまた阿吽の呼吸がなせる技なのか、とにかく「すごい」瞬間なのです。

 

M-7 “橙”

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 6th Single。えっちゃん作詞。BLEACHのエンディングテーマにもなりました。ところで、『チャットモンチー レストラン フルコース』に収録された『チャットモンチーのクリスマス万歳』という伝説のDVDをご存知でしょうか。チャットモンチーの3人がカラオケに行ってクリスマス会をやるだけの内容という、ただの素晴らしい映像なんですけど、この中でえっちゃんがX JAPANの“Forever Love”を歌ってるんですね。結構意外な選曲ながら、“Forever Love”に綴られるナルシシズムと、この“橙”で描かれる感情が不思議とリンクしており、どこか納得いくところがありました (どちらにも歩けないという表現があったりしますね)。なのでワタシのidはDDfL (Dai Dai Forever Love) なのですね。そんな理由かよってツッコミはなしでお願いします。

 

M-8 “素直”

 あっこちゃん作詞。曲中のクラリネットはクミコンが吹いています。『チャットモンチー レストラン デザート』収録の「生命力みなぎりTOUR」未公開シーン集にてこの曲のリハーサルが見られるのですが、大サビを歌うえっちゃんの隣でクミコンが謎の笑いのツボにはまってしまうというシーンがあるのです。笑いのツボはどうもクラリネットに唾がたまったことだったようですが、えっちゃんは「唾抜きは家でやってき」とバッサリ。文章にすると伝わりにくいナァ、でも実際に映像で見ると面白すぎ、爆笑ものです。

 

M-9 “真夜中遊園地”

 クミコン作詞。アルバム曲ながら知名度抜群のこの曲、Aメロのギターは屈指の難易度です。あれは歌いながら弾くフレーズじゃないです。「カッコいい!コピーしたい!」と思った人は、オフィシャルで出ているバンドスコアを参考にせず映像を見て目コピしましょう。なぜなら、そのバンドスコアのtab譜はえっちゃん (橋本絵莉子) が実際に弾いているものとは違う運指で記譜されているのだ!その「音あってるでしょ」的な (音しか合ってないともいえる)、歌いながら弾くことを完全に考慮していない運指はもはや地獄のメカニカルフレーズが如し。あんなの弾きながら歌えるワケないやん!ワタシはそれに気づかず延々と「弾けんわこんなん」と逆ギレするばかりでした。恨み節恨み節。

 とはいえ、弾きやすい運指にしても難しいのは間違いないのでビギナーは頑張って練習しましょー。そして、散々なこと書いたけどバンドスコア自体は買っても損はしないと思います。騙されるのも勉強だよっ。

 

M-10 “女子たちに明日はない”

 4th Single。あっこちゃん作詞。またしてもCINRAのインタビューからなのですが (ワタシCINRA好きなんです)、えっちゃんはこの曲をリリースしたことで「ガールズ云々」の問題から吹っ切れたと言っていますね。

チャットモンチーの女子トーク。男子は夢見がち、女子は感覚的? - インタビュー : CINRA.NET

 この中でも触れられていますが、このタイトルでシングルを出すというのは相当勇気が要っただろうなと思います。ノーフューチャーなタイトルとは裏腹にポジティブな意味がこめられたこの曲、今回のエントリ的には象徴的な歌詞だと思います。以下、引用です。

 

写真が好きな景色たちはポーズして

思い出より美しい思い出のふりで着飾るの

女子たちに明日はない / チャットモンチー

 

 景色って入ってるのがもう最高です。それが“思い出より美しい思い出”なんてフレーズで表現されることで、やはりこのアルバムに通奏するものは「発見」なのだと再確認できますね。書きながらずっと思ってたけど曲聴くのが一番です絶対。

 そして“真夜中遊園地”の項ではちょっとフザけすぎたので書けなかったんですけど、この流れで書いておきたいことがあるのでこの項を借りて書きます。以下、引用。

 

コンタクトはずして 酸化した現実

今日も見慣れた景色 無性に不安になる

あったかい布団這い出して 扉を開けた

ネオン輝く 虹色のメリーゴーランド

真夜中遊園地 / チャットモンチー

 

 ね、ここでも景色と出てくるでしょう。だいぶ感覚的なハナシになるのですが、やはりあのスピード感のあるアレンジで遊園地の描写がなされるというのが“真夜中遊園地”のキモであり、それによってリズムが生まれるのですね。

 しかし作詞者が違うとはいえ、『生命力』を貫く言葉がこの2曲に共通して出てくるのは面白いよなあと思うのです。

 

M-11 “バスロマンス”

 4th Singleのc/w。クミコン作詞。おそらく“ハナノユメ”と並んで最もチャットモンチーで再録された曲です。アレンジ版を含めるなら更に増えてその数4回 (Single『女子たちに明日はない』、『生命力』、『表情』、『横顔』)。ライブで披露される、間奏でのえっちゃん・あっこちゃんの掛け合いが楽しいですね。

 

M-12 “モバイルワールド”

 あっこちゃん作詞。前作『耳鳴り』収録“プラズマ”の系譜に連なる、チャットモンチーテクノロジーワールドの1曲。『生命力』のリリースが2007年ですから、当時は今で言うところのガラケー全盛。しかしたった10年後にはスマホに取って代わられるなど、想像もしなかったですね。まあそれはおいといて、内容はちょこちょこ時事ネタを歌詞に入れるあっこちゃんらしい視点です。時事ネタというと“隣の女”の「既読」もそうですね。しかしその“隣の女”にも言えますが、どこかシニカルで自虐的、キツめの言葉を使うならば自己嫌悪的な目線もある歌詞だなあと感じます。

 

M-13 “ミカヅキ

 えっちゃん作詞。徳島時代から存在していたというこの曲でアルバムは締められます。このドロドロにワタシはどうしても強く惹かれてしまうのですね。少し引用してみます。

 

落ちていく自分に 紺の絵の具を足して

ぐちゃぐちゃにした

ミカヅキ / チャットモンチー

 

 この部分が大好きなのですが、ネガティブの表現としてこれは堪らない。この自罰的で自己破滅的な感情も、このような表現がなされたから感情として理解できるのだと思います。モヤモヤに名前がついたというか、少なくともワタシはそうでした。ゆえに、大好きな一曲です。