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プリーズドンゴーエニモー

『耳鳴り』 / チャットモンチーの一人称 <2>

 さあ、『耳鳴り』の時間ですよ。初のフルアルバムにして13曲入り。そのタイトルが示す通り、チャットモンチーのアルバムの中では最も内省的な面を持ち、一人でじっくりと向き合うのがぴったりな作品ですねっ。ワタシがチャットモンチーのアルバムを聴きたいと思った時に、だいたい手を伸ばしてきたのはこの『耳鳴り』であり、個人的に思い入れの強いアルバムでもあります。収録曲のすべてが徳島時代に作った曲だという、持ち札のみで勝負したかのような切迫感・ヒリつきさ加減がたまらなく好きなのですね。

 

耳鳴り

 

 しかし、『耳鳴り』は、後のアルバムと比べると過度期といった印象を受けるアルバムでもあります (1stアルバムなのに変な書き方だな?)。他アルバムと比べて違いを感じるのはアレンジ面であり、とりわけギターが多くダビングされているように思えます。次作『生命力』以降、チャットモンチーのアレンジはギター1本、ベース1本、ドラム1台で成り立つものが増えていくのですが、『耳鳴り』の時点ではかなりの曲において複数のギターフレーズが録音されています。具体例で言えばM-1“東京ハチミツオーケストラ”のサビ部において、左右チャンネルで違うギターのバッキングが入っていますね。こういうアレンジは以降、ホントにびっくりするぐらいの潔さで減っていきます。

 これは3ピースという最低限の楽器数で、いかにアンサンブルを成立させられるか、そしてライブにおいて3人のみで再現できるか、ということに意識が向いていった結果でしょう。様々なインタビューで3ピースへのこだわり、自分たちはライブバンドだという自負を語っていたチャットモンチーらしさの表れでもありますね。ワタシは『生命力』以降のアレンジに慣れていたので、むしろ『耳鳴り』のアレンジ面をちゃんと聞いた時に、重ねられたギターの本数にびっくりしました。

 

 あと、他に顕著なのがギターソロです。これまた『生命力』以降、ギターソロの時にバッキングする (伴奏する) ギターがないパターンが激増します。しかもギターソロのある曲が増えているのにも関わらず、ですよ。『耳鳴り』ではギターソロがある4曲全てでバッキングのギターが鳴っており、メロディーを弾くギターが出た場合は必ずバッキングギターが録音されていますが、『生命力』ではギターソロのある10曲中、バッキングがない曲がなんと6曲も存在します。これを可能にするのは、12フレット未満のフレットでソロを弾くことの多いえっちゃんのプレイスタイルだと言えるでしょう (アンサンブルの中域がスカスカになりにくい、ただしならないとは言わない)。

 このプレイスタイルですが、超初期曲の“さいた”でもやっているので元から得意なスタイルなのでしょうね。つまりギターソロに関しては、『耳鳴り』を経て会得したスタイルというより、『耳鳴り』では多重録音でやってみるか、といったほうがニュアンスは正しそうです。

 

 さて、そんな訳で『耳鳴り』はアレンジの面において、他のアルバムと少し違うアルバムということが伝わったでしょうか。そしてもうひとつ、後のアルバムと趣を異にするところがあります。それは、クミコン (高橋久美子) の作詞が少ない、ということです。彼女の在籍時、3人の中で最も作詞していたのはクミコンでした (ちなみに一番少ないのはえっちゃんで、あっこちゃんはクミコンと同じくらい書いています)。

 

 余談ながら書いておくと、フルアルバムだけで見ればあっこちゃんとクミコンは同じくらいの作詞数なのですが、カップリングを見るととにかくクミコンの作詞が多いのです。シングルのカップリングを収録したアルバムである『表情<Coupling Collection>』は19曲という大ボリュームなのですが、なんと半分がクミコンの作詞 (!) です。これはスゴい。ワタシはチャットモンチーのシングルがリリースされる時、作詞のクレジットを見るのが楽しみなのですが、特に『橙』から『Last Love Letter』までのクミコンのワーカホリックぶりにはワクワクさせられていました。かなりのハイスピードでシングルをリリースし、しかも必ず3曲のうち1曲は作詞曲が収録されるという、あのパワーは見ていて痛快だったのです (しかし冷静に考えるとかなりスゴいことやってるな?)。

 

 閑話休題。そんな多作なクミコンですが、この『耳鳴り』では3曲のみの作詞ですね。どの曲を作詞しているのか、前回作った表で見てください。

 

表1 : 『耳鳴り』における作詞数、および一人称

作詞者

作詞数

一人称

橋本絵莉子

4曲

(“どなる、でんわ、どしゃぶり”“恋愛スピリッツ”

“終わりなきBGM”“ひとりだけ”)

「私」

福岡晃子

6曲

(“東京ハチミツオーケストラ”“さよならGood bye”

“おとぎの国の君”“恋の煙”“プラズマ”“メッセージ”)

「私」「わたし」「僕」

高橋久美子

3曲

(“ウイークエンドのまぼろし”“ハナノユメ”

“一等星になれなかった君へ”)

なし

 

 エ?歌詞に出てくる一人称が何で書いてあるかって?そう、ジツはこのエントリのテーマ、チャットモンチーの使う一人称についてなのです (今更言うか?)。それはさておき、『耳鳴り』においてクミコンは一人称を使っていません。しかし全く使わないという訳ではなく、前作『chatmonchy has come』収録の“サラバ青春”では「僕」が出てきますね。という訳で、「使う / 使わない」ことも含めて、クミコン作詞に出てくる一人称について見ていきたいと思います。

 

 さて、せっかく“サラバ青春”の話題も出したことですし、まずは“サラバ青春”を引き合いに歌詞を見てみます。

 

↓サラバ青春が使われています 


103系引退スペシャルムービー 「LOOP 大阪環状線」

 

 このセンチメンタルな歌詞にちょこちょこ混ざる短調っぽい響きがまさにチャットモンチーですね。サウンドについては前回書いたので置いておくとして、ワタシが知りたいのは、歌詞に出てくる「坂下食堂」は実在するのか、ってことです…なんてシラジラしいこと書いてみましたが、ワタシなんかよりもっと愛の深いファンの方々からすれば常識のようで、名前が違うものの実在らしいですね (ただし諸説あるようだ)。

 

 まあ店が実在したとしても名前までそのままにしないでしょう。とはいえ歌詞中にトランペットの描写が入ったりするのは吹奏楽経験者のクミコンならではという感じですし、体験したことが歌詞に色濃く現れているといった趣です。ならば「坂下食堂」もきっと、思い出の場所なのでしょう。

 

 しかし、(恐らく) 個人的な経験をベースにしながらも、この歌詞が日記ではない (≒創作・表現である) と感じるのはワタシだけではないでしょう。なぜそう感じるかというと、“サラバ青春”には物語があるからです。もう少し正確を期すならば、物語を語ろうという意思を感じるから、と言い換えてもいいですね。これはクミコンの歌詞において、かなり重要なウエイトを占めていることだと思います。彼女の歌詞が「小説的」と評される所以でもあるでしょう。

 

 具体的に見てみましょう。“サラバ青春”の中で、もし坂下食堂だけが「卒業」するだけならば、恐らく

 

なんでもない毎日が

本当は記念日だった (以下略)” 

サラバ青春 / チャットモンチー

 

 とは気づかないのです。しかし、歌詞の主人公も同じように「卒業」を控えたからこそ、

 

きっといつの日か笑い話になるのかな

あの頃は青臭かったなんてね

水平線に消えていく太陽みたいに

僕らの青春もサラバなのだね

サラバ青春 / チャットモンチー

 

  と、物事には終わりがあることに気づくわけです。ここに詩情が存在するわけですよ!“サラバ青春”に限らず、クミコンの歌詞ではストーリーと登場人物の関係性が語られることが多いです。「坂下食堂が卒業する」というストーリーだけではだめで、誰がそこに何を見出すか、こうして物語は物語られるのです。つまり、物語を語るということは人を語ることに他なりません。そういう訳ですから、クミコンの歌詞における視点は、人を語ることに向けられているのだと言えるでしょう。

 

 やっとこれで一人称のハナシができます…がホントに前振りが長いナァ。もったいぶるのがよくないね (自戒)。気を取り直しまして、“サラバ青春”では「僕」という男性一人称が使われています。しかし、だからといって歌の主人公が男性かと言うと、必ずしもそうとは限らないと思うのですが、どうでしょうか。

 かなりふわっとした印象で書きますが、“サラバ青春”に出てくる「僕」という一人称からは、登場人物の性別を示す一人称というよりも、表現する上での一人称、と考えるほうが自然な感じがします。これは物語を語ろうとするとき、とても高い親和性を発揮します。

 

 この表現上の一人称 (と便宜的に呼ぶことにします) は実際の性別と一致する必要はなく、そして複数所持することもできると思うのですが、みなさん何となく心当たりあったりしませんか?例えば、このブログでは一人称が「ワタシ」表記になっていますが、これはワタシにとって文章を書きやすい一人称なのです。真面目なこと書こうと思ったら「私」表記したいなと思うこともありますが、書いている内容が基本的にアレなので、せめて文体だけでも「ワタシ」と表記することでカタくならないようにしたいのですね。

 

 はい、ワタシの話は忘れてください。この表現上の一人称を使っている曲が『耳鳴り』にもあり、それはどの曲かと言うとあっこちゃん作詞曲、“おとぎの国の君”なのですね (余談ですが、ワタシ最近までこの曲はクミコンの作詞だと間違えて覚えてました。え?ファンなら間違えないよって?でも某歌詞サイトもクミコン作詞と間違えてるし、許してちょ!)。

 “おとぎの国の君”。見ての通りタイトルで「おとぎ」って言ってるので、ここでは物語を語りますよと宣言しているわけです。そして、歌われる「僕」からはどことなく性別不詳な感じがします。というよりも、特定の個人を指していない、英語で言うなら「Our」というべき「僕」だと思います。同じように、歌詞中の「君」は「You」ではなく「They」でしょう。

 

つまり“おとぎの国の君”は、喪失というごくパーソナルな内容を扱いながらも、どこかコモン (微妙なニュアンスの書き方だなぁ) なテーマを持っている気がするのです。それは以下のフレーズなどにあるように、孤独との向き合い方でしょう。

 

あったかい春の日差しも 寒空の下のココアも

君なしじゃただの白黒の絵 味気ないんだ

いつも潤んでた瞳は 僕が好きなとこだった

君なしじゃただの白黒の火 熱くないんだ

おとぎの国の君 / チャットモンチー

 

 とはいえ実際のところ、歌詞の内容はまるっきりのフィクションではなく、実話がベースでしょう。でもそれはどっちでもよくて、ある事柄のなかにストーリーを見出し、歌詞として抽出しているという結果のほうが大事です。ジツはあっこちゃんがこういう物語的な書き方をする歌詞は他にあまり見当たりません。だからワタシや某歌詞サイトがクミコン作詞と間違えたんだな!

 

 さて、ここまでの項ではクミコンの歌詞を中心にして、物語ること表現上の一人称について書いてきました。物語ることは人を語ることに他ならず、その形式上で効果を発揮する一人称がある、といったようなことですね。内容忘れた人はこの段だけ読んでくれればOKです。そして、この物語るという表現は、非常にメッセージの表明に向いた形式でもあります。これが今回のエントリ最後のテーマです。

 

 メッセージの表明、とか大層なこと書きましたが、チャットモンチーは高らかにメッセージを掲げることをそんなにしません。しかも今回取り上げるアルバムは『耳鳴り』という、未だ自分たちの中で鳴っている音楽、という意味のアルバムの曲たちです。そんなアルバムに、メッセージを声高に叫ぶ曲があるでしょうか…とは言いつつも、自分たちの中で鳴っているからといって、外に向かわないなんてことはないでしょう。むしろ内側に留まっているぶん、外に向かうエネルギーは大きくなることだってあるハズです。近くにいる人にはささやいても聞こえますが、遠い人には叫ばないと届かないでしょう。あれと一緒ですね (そしてそんなアルバムに、“メッセージ”というタイトルの曲が入っているのが面白い)。

 

 冗談はさておき、『耳鳴り』の曲たちにおいて一際目を引くタイトルの曲があります。それはクミコン作詞、“一等星になれなかった君へ”。すでにタイトルにメッセージが表明されているこの曲ですが、ここまで書いてきたクミコンの筆致が発揮された一曲です (とはいえ、勢いゆえの粗さもありますが)。この歌詞に書かれていることは、めちゃくちゃ乱暴に言うとオンリーワンであれということでしょう。歌詞を引用しながら、そのメッセージの背景を見てみましょう。まずは頭からBメロまでを引用します。

 

荷物まとめて この街を出ていったのは月曜日の夜のこと

足音もしなかった 足跡もなかった

 

荷物まとめて この街を出ていったのは月曜日の夜のこと

足音もしなかった 足跡もなかった

 

本当によかったのかな

本当に君はそれで

本当によかったのかな

一等星になれなかった君へ / チャットモンチー

 

 ここでの「君」は、“おとぎの国の君”と同じように「You」というよりは「Our」や「They」、極論「I」と読み替えてもいいような、要するに呼びかけの形をとっている気がします。そして大事なことは、自分が本当は何をしたいのかを見つめることだと示唆しています。一部中略して次にいきます。

 

本当は単純なこと

本当は素敵なこと

本当に簡単なこと

一等星になれなかった君へ / チャットモンチー

 

 かなり意訳してしまうので若干アレなのですが、「単純なこと」を認めるのは、「諦めること」と同義です。つまり、ここでいう「単純なこと」とは、ざっくり言えば「一等星になれ」るかもしれない可能性を捨てることです。ただし、諦めるの語源が「明らむ」であるように、諦めることははっきりさせるという意味でもあります。それは一見すると残念なことに見えますが、「本当は素敵なこと」なのですね。そして「簡単な」、(意訳すれば) 君には出来ることだと続くわけです。

 

 つまり“一等星になれなかった君へ”で歌われるメッセージとは、痛みや迷いを引き受けて、それでも前進できるということだと言えるでしょう。これは成長することへの肯定でもあります。“サラバ青春”にもあったように、クミコンの歌詞には成長することを肯定するものが多く、その姿勢がブレることもありません。そして誰かを肯定することとは、とてもパワーを要することです。彼女の書いた歌詞を前にすると、そのエネルギーの途方もなさに、思わずグッとくるものがあるのです (もしそれが脱退の遠因になったとしても)。

 

 …また例によって例のごとく、アルバムのハナシというよりは微に入り細を穿つような内容でしたが、いかがだったでしょうか。ワタシはこのマラソンを始めようと思うまで、クミコンの歌詞は成長をテーマにすることが多い、ということに全然気づいてなかったんですね (何を聴いてたんだろう)。だからこそ個人的には大発見だったのですが、実際に書いてみるとまぁ苦戦苦戦の連続でした。全然筆が進みやしない。だからこそもし他に、『耳鳴り』およびクミコンの歌詞には自信があるぜ!オマエは的外れなことしか言ってねえ!って人がいるならぜひ文章を書いてみてください。読んでみたいです!

 

 そして今回全然えっちゃんのハナシしてないな?そんなワケでこの狂信者ブログらしく最後を締めるなら、このクミコンの書くテーマとはえっちゃんのよく書くテーマと完全に裏表なんですよね。ふたりの歌詞からは現実を足場にして理想にもがき、そこから諦める (クミコン) ことと諦めない (えっちゃん) ことで全く逆の方向へと向かっている姿が見えてきます。もちろん、どっちが良くてどっちが悪いとかそういうハナシではなく、ただまるっきり違っているなというだけのハナシです。しかも、ワタシにとっては諦めない象徴の声であるえっちゃんが、諦める歌 (クミコンの歌詞) を歌うっていうのがアンビヴァレントで最高です。ひとつのバンドに複数の作詞者がいて、それぞれが違う持ち味を持っていたゆえの面白さですね。えっちゃんのハナシは以上です。

 

 さて次回予告ですが、今回のエントリでは「成長」という言葉を何度も使いました。でも結構乱暴に使ってしまったので、じゃあ成長するって何やねんということを2nd Album『生命力』をテーマに、うにゃうにゃと書きたいと思います (またエラい風呂敷広げたなあ)。あっこちゃんの歌詞に関する話題がないやん!と万が一にお怒りの方がいたら、スミマセン。3rdの『告白』の時まで待ってください (泣)。ここまで読んでくれてありがとう。もし体力残ってたら感想コーナーもどうぞ。またしても大したことは書いていませんが。

 

 

全曲ひとこと感想コーナー

 

M-1東京ハチミツオーケストラ”

 この曲について書くならひとつだけです。みんな、この曲のライブ版を観るために『チャットモンチー レストラン メインデッシュ』を買おう!初の武道館、アンコールで披露されたこの、“東京ハチミツオーケストラ”。間奏でカラフルな風船が客席に降り注ぐなか、えっちゃんがポツリ「すごい!」とこぼす。全ての緊張から解放されたような笑顔と、他にもたくさん凝った演出があったのに、よりによってこのシンプルな演出に感激してる姿を見て、「ああ、えっちゃんってこういう人だったなァ」とこっちも感激できる映像になっています。

 

M-2 “さよならGood bye”

 “しかに漂う”“なたの歌で目が覚めた”“どろむ景色 まつげの上にのっかっている”(注 : 以下、強調・かな変換は筆者の手による) と、最初のAメロはすべてあ行で韻が踏まれていますね。さらに、ここに続くフレーズでは“よく焼けたンの匂い”“とんでもないボロシ”と、位置を変えながら押韻は続きます。しかも、後者では“と”でメロディーを変奏して意識づけるという徹底っぷり。これが何を目指しているかというと、サビにおける“愛され〜”と“愛し〜”のためのインパクトです。リスナーは知らず知らずのうちにあ行に意識を向けさせられ、サビでついに解放されるわけです。ね、すごい作りでしょう…とか言ってみたり。まぁこれは大袈裟としても、あっこちゃんの歌詞にはこういう遊び心がありますね。

 

M-3 “ウィークエンドのまぼろし”

 IV度スタートのコード進行が多いチャットモンチーにおいて、さらにその上をいくIIImスタートというハードコア。え?この曲キーはBmじゃないの? (この曲の実際のキーはEm) を否定するかのようにたたみかけるC△7。特別複雑な進行ではないものの、攻めまくったコード進行が最高です。

 

M-4 “ハナノユメ (ALBUM Mix)”

 他のどのバージョンと比べてもドンシャリな音になってます。えらいパンチのある音ですねえ。聴く人によって好みは分かれそうですが、ワタシはこのバージョンが初聴きなのでこのミックスが基準です。他の“ハナノユメ”では大サビに入る前に、謎の音圧が「ボーッ」って聞こえてくるんですが、このミックスでは聞こえない。あれは何なのでしょう。

 

M-5 “どなる、でんわ、どしゃぶり”

 ここまでの展開を断ち切るかのような超絶漆黒ナンバー。作詞は当然 (?) えっちゃん。初武道館の2日目、序盤の締めに待っていたのは “どなる、でんわ、どしゃぶり”“恋愛スピリッツ”“終わりなきBGM”“ひとりだけ”の4連発という、地獄のエリコゾーンでした (褒め言葉)。この業火は武道館を余すことなく焼き尽くしはしましたが、荒廃した大地からはいつしか、ぽつぽつと手を叩くように緑が芽生え始めたそうな。これが有名な『生命力』の命名理由です。ウソです。冗談はさておき、激しい情念が渦巻くこの曲もえっちゃん節全開で最高ですね。暗い重いを地でいく佳曲。

 

M-6 “一等星になれなかった君へ”

 本文のほうにある程度書いたので、こっちでは短めに。100億光年は時間じゃなくて距離ですが (ポケモンの有名?なアレ)、光が届くにも時間はかかるので、やっぱり「100億光年の時を超え」は何も間違ってないと思います。論争みたいなものがあるようなので一応。

 

M-7 “おとぎの国の君”

 構成の妙が光る曲。A→A→B→C→Aってスゴいな?沈んだAから徐々に熱を帯びていき、Cで演奏が最高潮に達するとそのテンションのまま、ボーカルがラストAでまた一旦沈むのがいいですね。

 

M-8 “恋の煙 (ALBUM Mix)”

 1st Single。1サビ抜け後のギターはB-C#-D-Eと上昇し、ベースはB-A-G-F#と下降するパートは3ピースの基本のみならず、音楽的にも非常に正しいのでビギナーはぜひ覚えておきたいテクニックだ (何様やねん)。それはともかく『チャットモンチーと機械仕掛けの秘密基地ツアー2017』で披露したバージョンが凄く良かったのでもう一回聴きたいんですけど、映像化しませんかねぇ。

 

M-9 “恋愛スピリッツ”

 2nd Single。NHK-BSの武道館ドキュメンタリーにあったインタビューにおいて、えっちゃん本人の口から歌詞の内容は実話だと述べられた瞬間、全国のえっちゃん好きによる悲鳴が天を衝いたそうです (大嘘)。しかしワタシほどの狂信者になると、もはやこの歌は自分のことだと錯覚しているので「うんうん、だからあなたは私を手放せないんだよね」などと思ってしまうのでした (我ながら最高にヤバい)。

 

M-10 “終わりなきBGM”

 本文のほうにも書いたとおり、この『耳鳴り』というアルバムでは、物語を語ることがちょくちょく出てきます。この“終わりなきBGM”でも歌い出しにあるように、物語を語ることに触れていきますが (そもそもBack Ground Musicということから明らかだ)、どこかで共有可能な物語になることを否定しているような印象を受けます。ではなぜそう感じるかというと、ここで語られる物語は終わることがないからなのですね。映画がどんな波乱の人生を描いたところで、2時間経てばエンドロールが流れ出すように、物語はどこかで必ず終わらなければならないのです。しかし、“終わりなきBGM”ではあらゆる時間感覚がピンボケしており (以下引用)、

 

ふと気づくと もう空 赤

終わりなきBGM/ チャットモンチー

 

目をつぶると同じ空よみがえる

終わりなきBGM/ チャットモンチー

 

といった具合で、一向に最後が見えてきません。唯一終わりが示されるパートの、

 

長縄跳びの最後の1回

彼つぶやいた 

終わりなきBGM/ チャットモンチー

 

に出てくる彼すら、

 

「遠回りで帰ろっか」 

終わりなきBGM/ チャットモンチー

 

と、終わりを延長する始末です (ゆえにタイトルが“終わりなき”となるのだ)。この結果として生まれるのは、「彼」と「(省略されていますが) 私」の2人だけの濃密な空間であり、描写される空の赤と相まることで、胸をつく情景となるのですね。そりゃあ綺麗な空に決まっていますとも。天才•橋本絵莉子の叙情が遺憾なく発揮されていて、大好きな曲です。

 

M-11 “プラズマ”

 『耳鳴り』リリースにあたっての座談会で、いしわたり淳治が「日本で初めてDVDと絶叫する女の子」と発言しており、そりゃそうだよなと吹き出しましたが、後釜は出現したのでしょうか。それとも、すでに誰かがブルーレイとか叫んでるのでしょうか。特別知りたいワケでもないけれど。しかしチャットモンチーはちょくちょくテクノロジーに接近しますね。

 

M-12 “メッセージ”

 アコギやピアノが重ねられており、このアルバムを (裏から) 象徴するようなサウンドプロダクションの一曲。枯れたソロや歪んだギターを引っ張りながら、触れたら千切れそうなテンションで曲は進行していきます。ただ、現状ライブ映像を見ようと思っても、『チャットモンチー BEST 2005 - 2011』の初回生産限定盤に同梱された『足跡』でしか見られない。持っている人はかなりラッキーだ (ただし、『耳鳴り』のForever Editionに恐らく同じライブの音源が収録されている)。

 

M-13 “ひとりだけ”

 歌い出しのギターバッキング、どうなってんの…なぜあのリズムであのメロディーが歌えるのか…。ギターが弾ける人は試しにやってみると分かるはず。メロディーがギターにつられるのではなく、ギターがメロディーにつられて無難なバッキングパターンになってしまうという、逆転現象が体験ができるよ!え?別にレコーディング音源だから変じゃないって?これがライブでも同じバッキングパターンなのだ (しかもえっちゃんは平然と弾いている)。気になる人はゼヒ確認してみよう。